ACでHSS型HSP的ネコ族のつぶやき

「なぜ自分だけ?」アダルトチルドレンでHSPっぽい既婚女性の生きづらさ備忘録

90歳の少年

正一お祖父ちゃんはお茶目な人で、私たち孫に慕われていました。

居間のTVの前の長座布団の上にあぐらをかきつつ

舌の先で直径1cmほどの小さな「唾のシャボン玉」を作り

フワっと飛ばして見せて喜ばせてくれたりもしました。

 

勤勉な祖父は4人の子供たち全員を大学に

行かせた後も75歳まで立派に働き続けました。

その一方、90歳ほどで永眠するまでずっと、

幼き日に亡くした父親に憧れる少年のままだった気がします。

祖父の父親(私の曽祖父)はとても優秀な人だったようですが

悲しいことに、その息子である祖父の半分も生きられなかったのです。

満40歳というとても若い命でした。

祖父の父親は、病で両脚を根元から切断するという

壮絶な大手術を受けた後も「快気祝い」をして

職場復帰し、最期まで働き続けたようです。

 

雪がしんしんと降る2月の寒くて悲しい日

祖父の若き父親は遠いところへと旅立って行きました。

その時、祖父はまだ11歳のか細い少年でした。

 

憧れの父親を亡くした深い悲しみ。

それでも長子だった祖父は家の仕事を毎日こなしながら

母親と幼い妹弟を支えて暮らさなければなりませんでした。

教師だった母親(私の曾祖母)が子供たちを養い育てたそうです。

 

短歌が趣味だった祖父は、ほぼ最晩年まで

父親を自身の短歌作品に登場させていました。

40歳の若い偉大な父親に憧れつづける90歳の少年。

それが祖父だったと思います。

あくまで、孫である私の「意味づけ」ですが・・・

 

少年の小さな背中に重いものをたくさん背負っていた祖父は

本来の子供としての少年時代を謳歌はできなかったでしょう。

今で言うアダルトチルドチルドレン(AC)の心を秘めながら

社会で、そして家庭で生きていたのだと思います。

 

そして・・・

祖父の娘である我が母も。

さらに・・・

孫である私たち兄弟も。

 

このACの「連鎖」の始まりが誰だったのか

またはもっと経緯が複雑だったのかわかりませんが

曽祖父の痛ましい大手術の末の早世もきっと

今の私たちの上に大きな影を落としているのでしょう。

 

ご先祖たちのことをちょっとだけ知るチャンスに恵まれ

こうして書くに至った今の私にはそんなふうに思えます。

 

祖父も、そして早世した曽祖父も聖書に書かれているところの

弱くて不完全な「土の器」でありながら、その時代の自分の役割を背負い

(おそらく失敗をくりかえしながらも)ひたむきに頑張ってくれました。

まぎれもなく彼らのおかげで、今私もここに居ます。

彼らから悪いものも良いものも両方を引き継ぎながら。

彼ら先祖に尊敬と感謝の気持ちを持っています。

 

作られてしまったこの「負の連鎖」を

ただ「不幸」だと意味づけはしたくない。

何かの形で良い方向に還元したいな~と思いつつ

まだまだ「あがき」の真っ最中・・・😓

 

最後に・・・こんな言葉を思い出しました。

詩人ゲーテの言葉だったかな?

 

「 老人とは年老いた肉体に閉じ込められた若者である 」