ACでHSS型HSP的ネコ族のつぶやき

「なぜ自分だけ?」アダルトチルドレンでHSPっぽい既婚女性の生きづらさ備忘録

もう頑張りたくない☆

幼いころから今に至るまで

「善い」と思えることをするときに

しばしば嘲笑、無理解、悪者扱いなどの反応が返ってきた。

そのたびに少しずつ心臓がつぶれて行く感覚をこらえて

出来る限り前を向くつもりで生きてきた。

 

この生きづらさ、苦しさは「一時的」なものだ

前向きな「忍耐」の先には光があると自分に言い聞かせながら。

 

こうしてどこまで行ってもどこまで行っても・・・

正直、頑張るほどバカを見るのにホトホト疲れてしまった。

もう何一つ頑張りたくない。

もうエネルギー切れだ・・・

 

そんな境地に至って久しい。

このまま人生を終えるのでは悲し過ぎる・・・

 

 

アドラー心理学によるとすべての出来事には「意味」は存在せず

どんな意味を持つかは、各人の「意味づけ」次第。

そして、承認欲求はNG。

はい、仰せごもっとも。

 

自己啓発的な本はけっこう読んでいて

得た教訓を自分に言い聞かせるようになってはきたし、

それ以前にも嬉しいと思えることも無かったわけではない。

 

とくに、優しくてすばらしい旦那様と義両親は

私が生き続けるための温かいエネルギーを下さった。

彼らは私がこの世で過去に味わってきた多くの理不尽さと不遇を

「ちゃぶ台返し」のようにひっくり返してくれた人々だ。

今思えば、私にとって「天と地」が大逆転した時期だった。

彼らは本当に優しく私を受け容れてくれて大切にしてくれたのだ。

その点では、私は稀に見る幸せ者だ。

 

彼らはこの世で私が出会ったまさに「例外」だった。

とくに毎日接してきた旦那様の優しさに対しては

「ただの例外に過ぎない」と、有難く嬉しいはずのことも

スルーしてしまいがちで申し訳なく思う。

 

結婚して10年足らず経ったころ、

人間社会に対してほとほと疲れ心底絶望し、心のエネルギーが

枯渇して動けなくなって行く感覚に包まれて行った。

優しいパートナーに恵まれても尚、

やはりダメだったんだ…と改めて絶望していた。

そしてついに力尽き「ひきこもり」状態になった。

 

 

次々に近づいてくれる当時の友人知人らが

本人なりの「善意」や「気遣い」から発する言葉は

私にとっては驚くほど逆効果のものが多かった。

「まさかトドメを刺すために来てくれたの?」中には

そう疑ってしまうような言葉を投げてくる人々までいた。

 

聖書の「ヨブ記」に登場する人生のどん底にあった善人ヨブが

友人らから浴びせられた理不尽な批判のような酷い言葉が

その時の私に浴びせられることは幸い無かったが。

 

こういう彼らの「気遣い」に対しては内心こう思っていた。

「私が同じ立場なら、弱っている相手に対して

 決してこんな軽率な言葉を投げかけない」と。

 

些細な言葉がいちいち過剰なまでに胸に突き刺さるのも

自分のアダルトチルドレンな背景などに起因するHSP的な性質ゆえなのか。

 

実際、私自身は「不愉快な失言を殆んどしない稀有な人」とか

「完ぺきな回答をしてくれる人」というような意味のことを

人々から言っていただけたのはありがたいこと。

 

もちろん私も相手を不快にする発言をしたことがある。

ただし、それが相対的にかなり少ない?ということのよう。

そこは良い意味で(?)HSP的な性質のおかげ?と今は思える。

 

なにはともあれ

こうしてついに私は親族を含む人々からの連絡を完全に断った。

自分の心と命を守るために。

電話を通じないようにしたり、玄関の呼び鈴が

聞こえないように細工したりしたりもしたし、

メールにも手紙にも年賀状にも返信することなく、

何年も何年も・・・ひたすら冬眠した。

 

優しいだんな様や義両親にも心配をかけ本当に申し訳ない。

でも、もう動けない・・・

 

実家の両親や兄弟もそれはそれは心配したようだ。

心配の電話をしてくれた母に私はこう言った。

「生きているだけで精一杯なの。ただ生きているだけで許して欲しいの。」と。

母に対して、今まで一度も言えなかった言葉をついに言ったのだ。

母は無言で聞いていた。

娘の言葉がとても衝撃的で悲しく言葉が出なかったのだろう。

 

母は外面は自信にあふれる堂々としたライオン的美人。

類まれな才能にあふれた芸術家だった。

勉強も優秀で、高校は殆どが男子の進学校だった。

そこでも上位の成績だったし、男子たちからはマドンナと言われた。

しかし、そんな母の内面は驚くほどに脆弱だった。

父によると、母は独身時代から「死にたい」と言っていたそう。

母が私にくれた手紙に「私は自尊心が全くないのです」と書いてあったことがある。

 

私が「生きているだけで精一杯」と電話で母に伝えてから

10年経たないうちに、母の方が本当に死んでしまった。

自らの手で。

 

母は最期の数年間、うつ病で通院していた。

状態が好転しないからという理由で転院して

初診で処方が変わったその日に突然に

母の状態が急変、悪化した。

 

病院に行かなければいけなくなる前に

母も「冬眠」していたらどうなっていただろうと考える。

最悪の事態を免れることはできなかったのだろうか。

最近、そんなことも思うことがある。